台風が通り過ぎた翌週。アパートを持つオーナーの携帯に、知らない番号から電話が入ります。「近くで屋根の点検をしている者です。お宅の建物の屋根が、台風でずれているのが見えました。火災保険を使えば、自己負担なしで直せます」。
断ろうとすると、相手は畳みかけます。「申請は全部こちらでやります。保険金が下りてから精算なので、お金は一切かかりません」。写真を撮ってきたと言われ、不安になって一度話を聞いてしまう。こういう場面は、秋の台風シーズンが過ぎるたびに、管理会社の私たちの耳に入ってきます。
この記事では、賃貸の建物オーナーが「保険金で無料修理」の勧誘を受けたときに、何を確認し、どこで断り、何が起きると損をするのかを、管理会社の実務と公的機関の資料から整理します。あわせて、2026年10月からの火災保険料の改定との関係も押さえます。
「自己負担なし」「全額保険で」と言われた時点で、その場でサインしないのが正解です。保険金の請求は、オーナー自身が自分の保険会社か代理店に連絡するだけで始められます。
結論と、その理由
結論は3つです。①その場で契約しない。②先に自分の保険会社(代理店)へ連絡する。③管理会社に被害の確認を頼む。この順番を守れば、被害のほとんどは防げます。
理由は、国民生活センターが何年も同じ注意を出し続けているほど、トラブルが多いからです。同センターによると、「保険金で住宅修理ができる」と勧誘する事業者に関する相談は、2010年度の111件から2019年度の2,684件へ約24倍に増え、2020年度は2019年度の2倍以上になりました。契約は訪問販売が8割以上で、10月前後の秋台風シーズンに増えるとされています。
オーナーにとってのリスクは3つあります。手数料・違約金で手元に残るお金が減ること。経年劣化を台風被害として申請して、保険金の返還や契約解除を求められること。そして、後で触れるクーリング・オフが使えない可能性が高いことです。
| 方法 | 費用 | 主なリスク |
|---|---|---|
| 自分で保険会社に請求 | 0円 | 書類と見積を自分で用意する手間 |
| 管理会社・信頼できる地元業者に相談 | 見積は無料のことが多い | 業者選びを誤ると過大見積 |
| 申請サポート業者と契約 | 保険金の30〜50%などの手数料例 | 高額手数料・違約金・虚偽申請 |
いま何が問題になっているのか
国民生活センターは、2020年10月と2021年9月の発表で、「保険金を使って自己負担なく住宅修理ができる」という勧誘に繰り返し注意を呼びかけています。内容は、保険金の請求を手伝う契約を結ばされ、高額な手数料や、修理をキャンセルしたときの違約金を請求されるというものです。保険金が支払われなかった場合でも手数料が発生するケースが紹介されています。
手数料の相場感も押さえておきます。損害保険会社の解説では、成功報酬として保険金の30〜50%、手続きを途中でやめたときに10万〜100万円の違約金を求められた例が挙げられています。たとえば保険金が100万円出た場合、手数料が30〜50%なら30万〜50万円が業者に流れ、修理に回せるのは50万〜70万円です。「自己負担なし」のはずが、実質的には保険金から差し引かれているわけです。
もう一つ、今年は火災保険の料金事情も変わっています。損保ジャパンは個人向けの火災保険料を2026年10月から平均約3%引き上げると報じられました(日本経済新聞)。値上げ局面では「保険を使って直す」ことへの関心が高まり、勧誘業者にとっても動きやすい季節です。ただし、改定の幅は会社・建物の構造・地域で違います。自分の契約がどうなるかは、代理店に直接確認してください。保険を見直す考え方は賃貸の火災保険の見直しの記事で、台風被害そのものの費用負担は台風・浸水被害の原状回復の記事で整理しています。
制度・法令の正確な整理
まず、保険金の仕組みを整理します。ここを押さえておけば、業者の説明のどこがおかしいかが見えてきます。
| 項目 | 原則 |
|---|---|
| 対象になる損害 | 台風・突風・雹・大雪などの突発的な事故による損害(契約の補償範囲による) |
| 対象外になりやすい損害 | 経年劣化、施工不良、日常の使用による傷み |
| 自己負担(免責) | 契約によっては免責金額が設定されている。「必ず自己負担ゼロ」とは言えない |
| 請求できる人 | 保険契約者・被保険者本人。業者に頼まなくても請求できる |
| 請求の期限 | 保険法95条により、保険給付の請求権は3年で時効にかかる |
法律の面では、次の3点が大事です。
第一に、虚偽の申請は絶対にしないこと。国民生活センターは、経年劣化による損傷を自然災害によるものと偽って申請すると、保険金の返還請求や契約解除を受けるおそれがあり、詐欺罪に問われる可能性もあると注意しています。業者に「台風のせいということにしましょう」と言われても、署名するのはオーナーです。
第二に、訪問販売のクーリング・オフ。特定商取引法の訪問販売・電話勧誘販売では、書面を受け取った日から8日以内なら契約を解除できる場合があります。ただし、特定商取引法26条1項1号は、営業のために、または営業として結ぶ契約を適用の対象から外しています。賃貸経営の建物の工事契約は、この「営業のため」にあたると判断されるおそれがあります。
第三に、入居者への対応。民法606条2項は、賃貸人が建物の保存に必要な行為をするとき、賃借人はこれを拒めないと定めています。ただし、これは「勝手に部屋に入っていい」という意味ではありません。点検や工事の前に、入居者へ日程と目的を知らせるのが実務の基本です。
裁判例はどう判断してきたか
先に正直に書きます。保険金の申請サポート契約の手数料や違約金を正面から判断した裁判例を、私が確認できた範囲では特定できませんでした。特定できない判例は引用しない方針なので、ここは判例の代わりに、確認できる行政の見解を整理します。
【行政の見解(筆者による要約)】自宅兼アパートの外壁リフォームを訪問販売で契約する場合、自宅部分は特定商取引法の対象になり得る一方、アパート部分は「営業のために」結ぶ契約にあたると考えられるという整理が、経済産業省が公開している法令適用事前確認の資料に示されています(出典:経済産業省・法令適用事前確認手続の資料)。
つまり、賃貸に出している部分の工事は、クーリング・オフに頼れない可能性があるということです。一方で、「営業のため」にあたるかは、賃貸経営の規模や実態で判断されます。小規模なオーナーなら保護される余地もありますが、契約前に「後で解除できる」と期待するのは危険です。
【国民生活センターの助言(要約)】「保険金が使える」と勧誘されてもその場で契約せず、加入している保険会社や保険代理店に直接相談する。保険金の請求は加入者自身でできる。困ったときは消費者ホットライン188へ(出典:国民生活センター 報道発表資料 令和3年9月2日)。
個別の契約が有効か、違約金が高すぎないかは、契約書の内容と事情で決まります。揉めたときは、消費生活センターか弁護士に、契約書と業者とのやり取りを持って相談してください。
【現場の実際】21年の実務から
ここからが、管理会社として一番伝えたい部分です。建物オーナーの勧誘トラブルには、パターンがあります。
場面1:契約してから管理会社に連絡が来る
最も多いのがこれです。業者と契約を済ませたあとで、「こういう業者が屋根に上がるので、入居者さんに伝えてください」と連絡が入ります。この時点では、契約書にサイン済みで、断ると違約金の話になります。管理会社に先に相談してもらえれば、見積を別の業者と比べるだけで、話の大半は片づきます。
場面2:台風と関係のない傷みを「台風被害」にされる
雨漏りの跡が10年以上前からある。外壁のひびは築年数相応。こうした傷みを、業者は「先日の台風で」と書類に書こうとします。保険会社は、被害の発生日と原因を確認します。通らなければ手数料だけが残り、通ってしまえば後で問題になります。どちらに転んでもオーナーは得をしません。
場面3:「保険金ぴったり」の見積が出てくる
保険会社の査定額に合わせて、工事内容が膨らむことがあります。本来は屋根の部分補修で足りるのに、全面葺き替えの見積が出る。工事の見積は、保険の話とは切り離して、2〜3社から取るのが原則です。今年は建材の高騰もあり、相場感を持たずに契約すると割高になりやすい状況です。工事費の考え方は原状回復コスト高騰の記事でも整理しています。
場面4:入居者に断りなくバルコニーへ上がる
点検の名目で、業者が入居者に連絡せずに共用部や専用使用部分へ入る。入居者から管理会社に苦情が入り、オーナーの信用に傷がつきます。入居者は不審者だと思って通報することもあります。点検や工事の日程は、書面で事前に周知するのが基本です。
場面5:入居者の家財と建物の保険を混同する
建物の保険金を受け取るのはオーナー(保険契約者・被保険者)で、入居者の家財の損害は入居者自身の家財保険の話です。業者が入居者に直接「保険で直せます」と持ちかけることもあるので、入居者にも「業者の勧誘は管理会社に確認を」と伝えておくと、被害を広げずに済みます。
ケース別の負担区分・対応
勧誘の言い回しごとに、危険度と取るべき対応を整理しました。
| 業者の言い方 | 危険度 | 取るべき対応 |
|---|---|---|
| 「自己負担なしで直せます」 | 高 | 免責の有無を保険会社に確認。その場で契約しない |
| 「申請はすべて代行します」 | 高 | 手数料率・違約金・解約条件を書面で確認。請求は自分でもできる |
| 「保険金が出なければ費用はいただきません」 | 中 | 調査費・キャンセル料の有無を確認。口頭の説明は信用しない |
| 「台風被害として書類を作ります」 | 最高 | 被害日と原因が事実か自分で確認。虚偽なら断る |
| 「今日契約すれば割引します」 | 高 | 急がせる業者は避ける。保険の請求期限は3年ある |
| 管理会社や地元業者が被害を確認し、保険会社へ連絡を提案 | 低 | 見積を比較し、保険会社の指示に従って進める |
着地の実務——どこで折り合うか
「保険を使って直せるなら使いたい」という気持ちは、まっとうです。問題は使い方です。保険は自分で使い、業者には工事だけを頼む。この線引きで、ほとんどの損は避けられます。
現実的な手順
手順1:被害の写真と日付を残す。台風の直後に、屋根・外壁・雨樋・フェンスを遠目からでも撮影します。登らず、地上から撮るのが安全です。
手順2:保険会社か代理店に連絡する。証券番号を手元に用意し、「いつ、何が壊れたか」を伝えます。免責金額と補償範囲は、この時点で確認します。
手順3:管理会社に相談し、修理業者を2〜3社に絞る。見積は保険の査定とは別に取ります。入居者への事前連絡も管理会社に任せられます。
手順4:保険会社の指示に従って書類を出す。修理前に写真と見積を求められることが多いので、工事の着工前に連絡するのが安全です。
手順5:工事後、完了報告を保管する。請求権の時効は3年ですが、記憶と証拠が新しいうちに済ませます。
やってはいけないこと
・その場で契約書にサインする。勧誘の電話や訪問では、必ず「検討します」で終わらせます。
・業者に保険証券や通帳の写しを渡す。手数料の話がまとまる前に個人情報を渡さないでください。
・経年劣化を台風被害として申請する。保険金の返還や契約解除、最悪の場合は詐欺罪の問題になります。
・入居者に無断で立ち入らせる。民法606条2項があっても、事前の周知が基本です。
すでに契約してしまったときは、契約書の控え、業者の名刺、やり取りの記録を持って、消費者ホットライン188か弁護士に相談してください。8日以内ならクーリング・オフの可否も含めて確認できます。
よくある質問
- Q1. 「保険金が出なければ無料」と言われました。本当に無料ですか?
- 契約書次第です。保険金が出ない場合でも、調査費やキャンセル料が発生する例が国民生活センターに報告されています。書面で条件を確認するまで、無料とは考えないでください。
- Q2. 申請を業者に頼むのは違法ですか?
- 一律に違法とは言えませんが、報酬を取って請求手続きを代行することの適法性には議論があります。いずれにせよ、請求は加入者本人でできるので、手数料を払ってまで頼む必要性は低いと考えます。
- Q3. 賃貸に出している建物でも、クーリング・オフはできますか?
- 期待しないでください。特定商取引法26条1項1号により、営業のために結ぶ契約は適用から外れます。賃貸経営の規模や実態によって扱いが分かれるため、早めに消費生活センターへ相談するのが確実です。
- Q4. 台風から時間が経っています。まだ請求できますか?
- 保険法95条により、請求権の時効は3年です。ただし、時間が経つほど原因の特定が難しくなるので、気づいたらすぐ連絡するのが得策です。
- Q5. 火災保険料が上がるなら、保険を使わず自費で直した方が得ですか?
- 一概には言えません。保険を使うと次回更新の保険料に影響が出る場合があるため、修理費が免責金額を大きく超えるかどうかで判断します。迷う場合は代理店に試算を頼んでください。
まとめ
最後に、オーナーが今日から使える判断基準をまとめます。「自己負担なし」と言われたら、その場で契約しない。まず自分の保険会社へ。見積は2〜3社で比べる。申請サポートの手数料は、保険金の3〜5割に達する例がある。賃貸の建物ではクーリング・オフを当てにしない。この4点です。
火災保険の見直しそのものを考えるなら、複数社の見積を取り比べる方法があります。入居者の更新時の保険や管理会社指定の保険も含め、契約全体を整理すると無駄が見えてきます。
本記事の根拠
- 国民生活センター「保険金で住宅修理ができると勧誘する事業者に注意!」(令和3年9月2日)
- 国民生活センター「『保険金を使って自己負担なく住宅修理ができる』と勧誘されてもすぐに契約しないようにしましょう!」(令和2年10月1日)
- 国民生活センター「『保険金を使って住宅を修理しませんか』がきっかけでトラブルに!」(平成30年9月6日)
- 東京海上日動「火災保険の申請サポート業者には要注意!」
- 日本経済新聞「損保ジャパン、10月に個人火災保険料3%上げ」
- 経済産業省 法令適用事前確認手続の資料(営業のための契約の整理)
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工事費が上がる中で、オーナーが適正価格を見分ける考え方です。
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執筆者:不動産管理会社勤務・業界21年。賃貸管理/入居審査/家賃滞納対応/退去立会い/原状回復を担当。
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